大谷焼
陶芸家 10代目 田村栄一郎
鳴門市の一角静かな山間に、今尚伝統の炎を燃し続ける「大谷焼」は、今を去る二百五十年前天明元年、阿波藩主蜂須賀治明公によって藩窯が築かれ、大谷で始めて染付磁器が焼かれた。
文右衛門と云う九州生れの焼物職人は当時家族五人連れで、大谷村に移りこの藩窯の創始に尽力したが天明四年この地で歿した。
その後、陶工忠蔵が民陶として瓶焼の技術を納田平次兵衛に伝えたのが大谷焼の起こりであります。
納田窯は、初代平次兵衛以降六代に渡って、大谷焼窯元として陶業を続けて参りました。
六代目・長太郎から田村基蔵が、納田窯を継承元山窯として改窯、八代目・政雄、九代目・功、十代目・栄一郎と引き継がれ、現在に到っております。
幕末時代の登り窯(国指定有形文化財)が現存している唯一の窯元として広く知られております。この古い伝統を生かし、土という素材のもつ無限の自由な創造性、神聖な炎との出会いに依る斬新な感覚の物を造るべく日々努力しております。
これも一重に陶器を愛して下さる皆様のお蔭と深く感謝し、一層の精進を覚悟しております。
何卒今後共、御指導御鞭撻の程お願い申し上げます。
阿波陶工 栄一郎
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